日本のパルクールの歴史

トレーサーズポストの読者のみなさん!
はじめまして、こんにちは。ゆーろう(@yf_parkour)です。

僕は滋賀県在住のアラサートレーサーです。パルクール歴は十五年ほど。たぶん日本ではかなり古参の分類に入ると思います。

いま日本のパルクールはすごいスピードで変化しています。トレーサーが数々のメディアに出演し、毎週のように各地でイベントやワークショップが開かれています。パルクール用の室内施設まで出来ました。一昔前には考えられなかったことです。

今後も日本のパルクールは変わっていきます。どんな未来が待っているかは誰にも分かりませんが、これまでの歴史の流れを知っておけば、何かを掴めるかもしれません。

ということで今回は日本のパルクール史をざっと振り返ってみたいと思います。当時の状況を踏まえて三つの段階に分けて、個人的な体験や感想を交えながらまとめていきます。

「導入期」パルクールはフランスで生まれた?

フランスで生まれたパルクール。十数年前に海を渡って日本にやってきました。といっても誰かが持ち込んだわけではありません。インターネットの掲示板のやり取りの中から始まったのです。「Parkour」の日本語発音の「パルクール」は名前も知らない匿名の誰かが言い出したことなのです。

国内でパルクールに関する情報はほとんどありませんでした。技名やトレーニング方法も分かりません。海外サイトにアクセスして、英語のページを読んでいました。いまでは当たり前のYoutubeもありません。なので「video」「gallery」という単語を手がかりに動画を探してましたね。

プレシジョンやクライムアップといった基本的なテクニックでさえ未知のものです。とりあえず、高いところから飛び降りたり、ヴォルトのマネをしたりしてました。今振り返ると基礎トレもせずによくやっていたなと思います。バク宙なんてしようものなら、間違いなくトップレベルだったでしょう。

このころの交流は主にネット上だけでした。トレーサーが個人・チームサイトを作り、そこの掲示板で情報交換をしていました。動画をアップするのはかなり大変でした。ネット環境の問題もありますが、いまのように高性能のスマホがなかったというのもありますし、カメラや編集をするパソコンが高価だったこともあります。

「成長期」パルクールが人々を魅了する

やがてトレーサー同士の交流が始まります。練習会が開かれるようになり、コミュニティが出来るようになりました。当時は少数が集まって練習するような雰囲気で、体系的にパルクールを教える環境はありませんでした。そもそも何をどうやってどの順番で教えるべきなのかまったく分からなかったのです。まずは自分たちが動くことが大事な時期でした。

トレーサーの数自体少なかったので、シーンの中ではほとんど顔見知りみたいな状態です。十代、二十代の男子ばかりでした。ほとんど学生で、社会人は珍しかったかな。住んでる場所が離れていても、ネットで繋がっていましたね。全体的にゆるい一体感あったと思います。

パルクール動画はYouTubeの登場や機材の低価格化で劇的に変わりました。それまで作品的に作り込んだタイプのものが多かったのですが、練習の風景や日常を切り取ったような即興的なタイプが増えていきました。

メディアからも徐々に注目されるようになり、日本人トレーサーに日の目が当たりだしました。テレビ、映画、PV、CMと何か一つ発表があるたびにお祭り騒ぎでした。ついこないだ一緒に練習していたトレーサーが画面の中で芸能人と一緒に映っているというのはとても不思議な感じがしましたね。

「成熟期」パルクールを仕事にするプロのトレーサー

プロとして活動するトレーサーが出始め、アイドル的な人気を持つ人も出てきました。そんな彼らを目標にする若いトレーサーも増えています。また、施設、団体、競技としての在り方などのインフラ的な部分の整備も動き出しています。

SNSの普及で誰でも気軽に情報発信できる環境が整いました。全国各地にコミュニティが出来つつあります。また、都市では一つの地域の中に様々なコミュニティが存在するようになりました。昔のようにみんながみんなを知っているという状況ではなくなりました。とはいえ、これまで少なかった女性や子供のトレーサーが増えてきて多様性が広がりつつあります。

パルクール動画もYoutube一辺倒ではなく、TwitterやInstagramで見る機会が増えましたね。そもそもまったく動画を見ない人、作らない人たちも出てきました。しかし、一方でプロ並みのクオリティの動画を作るトレーサーも出てきて、その方面で活躍が期待されます。

あと、パルクールの世間的な知名度がグンと上がった気がします。映画やアニメの中でもはや当たり前に登場するようになりました。一昔前だと一般の人にパルクールを説明しても「なにそれ?」って感じでしたが、最近だと「ああ、あれか!」と分かってもらえることが増えました。

日本のパルクールのこれから

日本のパルクール史をざっとまとめてみました。

日本のシーンは一つの成熟期に入ったといえると同時に、次のステージに入るための準備期間に入りました。これまでは比較的閉じた世界の中でパルクールの在り方が変化していきましたが、これからは社会やトレーサー以外の人たちが関わってきます。

よって、これからは今まで以上にパルクールに大きな変化が起きるかもしれません。しかし、その渦中の中で大切なことは、トレーサー一人一人が自分なりのパルクールの形や信念を持っておくことが大事になってくるのではないでしょうか?

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